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「宇佐美圭司 制動・大洪水展」(三島 大岡信ことば館)を見る。大作(約300×300が5点,300×600が1点)が、壁から離れた空中に空間を丸く囲うように浮かんでいる。鑑賞者はそのまん中を、階段状になった床を上下しながら作品と対峙する。 若いころ(1950年代)の作品は初めて見た。まだ洗練されてなくて粘りのある強いタッチと暗さに驚く。 「トーマス・デマンド展」(東京都現代美術館)へ。 巨大な写真作品。すべて紙で作ったセットを写したものという。写真に近づいてよく見ると、確かに薄っぺらな紙の貼り合わせがわかる。洞窟も、原発の制御室も、大統領の部屋も、ただただすごいと感心するばかり。 何がすごいのかというと、こんなに大きくそっくりなセットを作るその情熱(?)だ。写ってしまった作品はどこか虚しい。質・量というものがない空虚さ、無温度感。 もし紙のセット作品が展示されていたら、どんな感じがするのだろうか。 しかし、それを見てから外に出て、高層ビルや街角の植木など何を見ても、紙で出来ているように見えてしまうのだ。目はだまされたがっているのか、脳がだましたがっているのか。どちらにしてもだまされやすい。立ち止まっては、じっと見て確かめる。すべてを疑わずにいられない時代。 ワタリウム美術館の「「ひっくりかえる展」へ。 まずオン・サンデーズ・カフェのチンポムの新作「非常口」をモチーフにしたチョコレート・パウンドに赤いラズベリーのアイシングのチンポム・ケーキセット(「ひっくりかえる展」期間限定)で一息いれる。 ![]() 展示室へ向かうエレベーターには ![]() 「レッドカード」を制作したのはChim↑Pomの水野俊紀。2011年の秋に作業員として福島第一原発で2ヶ月間働きながら作品を制作したという。 ![]() その「レッドカード」が会期中何度でも有効な入場券になっている。 ![]() 歩数計17822歩。 「イ・ブル展も見たかった・・・ 坂口恭平はほんものの天才だ。天才はいつだって危なっかしい。しかしその危うさの中からしか未来は生まれてこない。 所有しない、定住しない、固定しない、この三原則からどんな世界が生まれてくるか。 僕が大事にしたいと思っている人間の一人が、ここにいる。 ──中沢新一(人類学者・明治大学野生の科学研究所所長) 「建てない」建築家がいる。──名前は坂口恭平。 「0円ハウス」「ゼロから始める都市型狩猟採集生活」といった著作で現代のライフスタイルに問いを投げかけ、故郷の熊本につくった“ゼロセンター”で新しい生き方を模索する。 坂口さんは早稲田大学建築学科在学中に路上生活者の家と出会い、家について、都市について、生活について根本的に考えることを始めた。 なぜ、建築家は巨大な建築物を建てるのだろう?なぜ、私たちは身の丈に合った巣のような家を建てることが出来ないのだろう? 数々の著作で路上生活者の生活をレポートしてきた坂口さんは、2010年11月、ついに初の建築作品“モバイルハウス”の製作にとりかかる。 坂口さんを手ほどきする「師匠」は多摩川の河川敷に長年暮らす“多摩川のロビンソンクルーソー”。材料はホームセンターで購入。しめて制作費26,000円。二畳の家に移動用のかわいい車輪付き。師匠の叱咤激励を受けてようやく完成、設置場所は吉祥寺の駐車場。多摩川から設置場所の吉祥寺に移動という前日、東日本大震災が起こった…。 住むとは?暮らすとは?生きるとは?ここには私たちが生きていくためのヒントがいっぱい詰まっています。(以上、プレスより引用) 以前読んだ 「ゼロから始める 都市型狩猟採集生活」 から------ 「そもそも、お金をもらって家を建てるなどという仕事自体が間違っている」という結論に至り、「既存の」建築家を目指すことをやめてしまった坂口恭平(1978生)は、その著書「ゼロから始める 都市型狩猟採集生活」(太田出版)で、「所持金なし、宿もなし、仲間も家族もなしで、東京のど真ん中に突っ立っている」人に、思考の解像度を上げ、無数の視点を獲得し、創造的に生きる方法を伝授する。ニートや引きこもりも、フリーターで首切りにあっても、絶望することはない。 「人間、どんな状態になっても、ぜったい生きていける」のだと。 この映画の上映、いまのところ東京、大阪、京都しかない。名古屋での上映を期待!! ユダヤ人無許可入植地の撤去命令 イスラエル最高裁 【エルサレム共同】イスラエル最高裁は7日、占領地ヨルダン川西岸中部にあるパレスチナ人の私有地に無許可で建設されたユダヤ人入植地ウルパナについて、5月1日の撤去期限を3カ月延期するよう要請した政府の申し立てを棄却、7月1日までに入植者住宅を撤去するよう命じた。 退去を迫られる入植者らの反発は必至。9月4日の総選挙を前に、ウルパナ存続を模索していたネタニヤフ首相は苦しい立場に立たされた。 西岸には政府公認の入植地が約120、ほかにイスラエルでも違法とされる非公認の入植地が100以上あり、いずれも国際法上は違法。 2012/05/08 05:21 【共同通信】 <緊急拡散希望!>田中優より「偽装停電の夏」をくいとめよう 田中優の'持続する志' 田中優からのお願いです。 ぜひ、こちらの記事・グラフを周りの方へ拡散頂き、偽装停電などさせないように広めてください私たち市民の力を見せつけましょう! ある学生運動やってた人が、5月6日の全原発停止を、「運動の成果ではない」と批判していた。「運動」でなくても、市民の批判や抵抗があったからこそ、5月5日までに再稼動できなかったのだ。田中優さんの「私たち市民の力」に共感する。 そしてここを足場にして、全原発廃炉へ。脱原発へ。 本社世論調査:大飯原発の再稼働「反対」は63% 毎日新聞 2012年05月07日 23時25分(最終更新 05月08日 03時52分) 毎日新聞は5、6の両日、全国世論調査を実施した。定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について「反対」は63%を占め、「賛成」(31%)を大きく上回った。稼働する原発がなくなり、今夏に電気の使用が制限された場合、「我慢できる」と答えた人が74%に達しており、原発再稼働を急ぐ政府に対し、民意の「脱原発依存」志向が強まっている。 一方、再稼働の要請にあたり、政府が4月にまとめた安全性に関する新たな判断基準について、「信用しない」と答えた人が77%に上った。「信用する」は16%に過ぎず、政府の手続きに対する不信感が、原発再稼働への根強い反対につながっている構図が浮き彫りになった。 今夏の電力使用制限への意識を地域別にみると、最も電力需給が逼迫(ひっぱく)すると予想される近畿圏で、61%が「我慢できる」と回答。また、昨夏に節電対策に取り組んだ関東圏で79%を占めるなど、他のすべての地域で「我慢できる」が7割を超えている。 脱原発:電気のいらない家電、続々生み出す 栃木の発明家 毎日新聞 2012年05月08日 12時44分 ![]() 「幸せ度」を上げるための節電を推奨する藤村靖之さん。左のパネル状の製品はヒット作の非電化除湿器=栃木県那須町の非電化工房で、袴田貴行撮影 国内の商業用原発が全て止まって3日。「電気のいらない家電製品」を次々生み出している栃木県那須町の発明家、藤村靖之さん(67)は今こそスタートと捉えている。原発のエネルギーを「GP」(原発の頭文字)という独自の単位で表し、講演などで脱原発を訴えてきた藤村さんは「0(ゼロ)GPの維持に必要なのは、電気に頼り過ぎるライフスタイルを改めること」と訴えている。 大阪大大学院出身で工学博士の藤村さんは、建機メーカーのコマツの研究開発者などを経て07年、自宅に「非電化工房」を設立。10種類以上の製品を発明し、技術はモンゴルなど海外にも提供されている。熱伝導率の高い金属で作った貯蔵室の周りに大量の水を張り、断熱材で外部からの熱を遮断した冷蔵庫は、真夏の日中の屋外でも庫内を7〜8度に保つ。半永久的に使える1台2万3000円の除湿器は年間200台売れるヒット商品だ。 藤村さんが講演の際に持ち出すのが、自ら提唱した新単位「GP」。1GPは原発1基が1年間に供給する平均的な電力量(04年時点で約50億キロワット時)を意味し、家電製品別の年間電力消費量に当てはめて使う。例えばテレビなら10GP。日本全国の家庭で1年間に消費されたテレビの電力量が、原発10基分の年間発電量に相当することを指す。電気ポットは設定温度に保ち続ける電力が必要なため、意外にも冷房と同じ3GPだという。 非電化工房では、電気炊飯器(2GP)ではなくガスと圧力鍋で米を炊いたり、照明(10GP)やパソコン(3GP)をこまめに消したりして節電効果を高めている。建物内は大きな天窓から採光し、掃除はほうき。太陽光や水力で自家発電もしている。約3000坪の敷地に10以上の建物があるが、東京電力に支払う電気料金は年間4万円程度だ。 藤村さんは「圧力鍋で炊いたご飯の方がおいしいし、読書や入浴は部分照明やロウソクの方が適度な明るさでリラックスできる。夏場のピーク時を乗り切るための苦しい節電ではなく、日常生活の『幸せ度』を上げるための節電なら長続きする」と話している。【袴田貴行】 画塾で使った残りのガムテープで、以前に書店で立ち見したバッグ作りを試してみることに。 布で作るみたいな裁ったり縫ったりがないので簡単だけど、小さいこどもにはベタベタして扱いが難しいかも。 ![]() ![]() 提げてみたけど、なんだか似合わない。 テープを変えてみたらどうだろう。ネットでさいふの作り方も見つけたし。 そういえばこのごろ柄物のガムテープを見かけないが、一時期はハンズにも、ヒョウ柄や籠目柄、イチゴ柄など並んでいたことがある。 ちょうどそのころ何でもかんでもガムテープを貼って、一時しのぎの間に合わせをするのが流行っていた。 そのいくつかを、なつかしく思い出して。 何といっても、補修に使われているのが一番多かった。一時をしのぐだけの間に合わせである。椅子、バケツ、郵便受け、看板などもう何でも、ガムテープでしのいでいた町の風景。 ↓これは出入り口なのでさすがにテープだけでは危険だろう、ベニヤ板があててある。 ![]() こちらの予防タイプも結構多かった。やはり地震は当時(93年)から予想され、飛散防止の準備がされていた。 ![]() これも玄関の引き違い戸の飛散防止。 ![]() これを見つけた時の感激したこと! 塀に花が咲いたようだ。 ![]() メッセージがエコーしているよう・・・ ![]() これらの風景は今ひとつも残っていない。ガムテープ文化がすっかり変わってしまった。 しかし危機に対して「一時しのぎの間に合わせ」という意識を持ち続けているムラはいまもある。 竹内公太(いまでは“福一指差し作業員”として有名?)の「ふるさとの合成」 2011.3.11以降につくったかと感じるけど、2010年3月の作品というから予兆的(!)。 主流メディアが報道しないので、私たちはほとんど知りませんでしたが、アイスランドで、国民による無血革命が着々と進行しています。 アイスランドが2008年にデフォルトし、その際、借金を踏み倒したこと、そしてその後、わずか4年で、国債の格付けを投資適格まで引き上げるのに成功したことは、以前、お伝えしましたが。その他の詳細を、私も知りませんでした。ここまで進んでいたとはネ! ― 内閣総辞職 ― 中央銀行国有化 ― 経済に関する決定を、国民投票で ― 責任者たちを投獄 ― 国民による憲法改正 何故、(奴らに支配された)主流メディアが報道しないかというと、もちろん、今、危ないギリシャやアイルランド、ポルトガル、スペインに、真似されると困るからですよね。でも、、、、、真似すると思いますよ。笑) 元々、国際金融ギャング団が、違法に、国家を罠にはめて、国の資産を乗っ取るために背負わせた借金なのですから。 アイスランドの無血革命、時系列で要約すると、以下の如くなるようです。 2008年 中央銀行を国有化。貨幣クローナが無価値になり、株式市場は停止。国家は破産した。 2009年 国会前で、国民が抗議行動。内閣総辞職で、総選挙。ひどい経済状況。この時、提案されていたのは、国家の負債として、35億ユーロをイギリスとオランダに、月賦で15年間、5.5%の金利で支払うことであった。 2010年 国民が抗議デモで、国民投票を要求。2010年1月、大統領は、提案を拒否し、国民集会を宣言した。 3月、国民投票により、支払い拒否が93%で可決。この間、政府は、この危機を招いた責任者たちに対する捜査を行い、多くの企業役員や銀行家が逮捕された。 インターポールが、犯罪に関与したグループに、国外退去を命じた。この危機を通じて、憲法改正を行うための国民議会が選出された。522人の立候補者から、無所属の25人の市民が選ばれた。候補者の資格は、成人で、30人のサポートを得ていること。 25人の市民は、新憲法の草稿を、国会に提出した。この普通の住民からなる25人は、オンラインで、何百人もの他の住民の助けを借りて、その書類をまとめた。 2011年 2月から、憲法集会がスタートした。全国の多様な集会が推薦するマグナカルタを提示。これは、現在の国会と次の正式選挙を通じて承認されなければならない。 2012年 6月30日に提案されていた国民投票は、国会により延期され、次の日程はまだ決まっていない。 さらに、驚きのニュースです。アイスランドは、国民に対して、住宅ローンを免除したそうです! Iceland Forgives the Mortgage Debt of its Population やれば、できるんですね! いいなあ、住宅ローン免除って! 皆さん、そう思いません? 「ハートの贈りもの」より転載 ![]() 愛知県陶磁資料館で5月27日まで開催されている「彫刻を聞き、土を語らせる 西村陽平展」のチラシ。どこかで見た記憶がある。 のどまで出かかっていながら、うーと唸っても、「ヴォ」とか「フ」とか思いつく音を出してみても、作家の名前が出て来ない。作品の載っている画集を探したほうが早い。見つけた。キーファー。そうそう、キーファー、キーファー。 ![]() とてもよく似ているが、「本」を大量に展示するということから本棚となるのかも知れない。 西村陽平さんの作品は、「焼成」をテーマにしている。 初期のコンセプチュアルな作品より、本を焼くということに魅せられていく様子と、その本に使用されている紙質によって焼成後の紙の表情がほんとうに千差万別に美しいことに、ひきこまれた。 キリスト教を信仰されているらしい。 これまでも何度か書いてけれど、わたしは10代になるまで寝たきり少女だった。そのころはまだテレビはなく、 ただ安静に寝たままラジオから流れてくるのを聞くともなく聞いていた。 ラジオの放送は、いまのように騒がしさがなく、ニュースや体操、天気予報、株式情報、ドラマ、お笑い、朗読、などや宗教の時間があった。そこでキリスト教の聖書も読まれていた。中でも「汝の敵を愛せよ」と「右のほほを打たれたら左のほほを差し出せ」という言葉が忘れ難く印象に残っている。病気で寝ている布団の中で、わたしはそれを聞いてなぜだか泣けたのだ。 「なぜ泣いたのだろう」という問いがずっとあった。 つい最近、「右のほほを打たれたら左のほほを差し出す」のは、「寛容ではなく、底意地の悪い忍従の表現である」(吉本隆明)というのを読んだ。寛容だったら泣かなかったろう。が忍従とも少し違う気がする。布団の中のこどもだったわたしは、キリストの抵抗の表現と感じて泣けたのだという気がする。 More (続きはここから) シャープ、ソニー、パナの赤字合計1兆7000億円 見通し甘く、経営瀬戸際(産経新聞 2012年04月11日) テレビ事業の不振にあえぐシャープとソニーが業績見通しを下方修正。パナソニックと合わせ、3社の損失は計約1兆7千億円に上り、各社の経営は瀬戸際にある。 関電も老朽原発に過剰依存した失敗企業だ。来年4千億円の赤字が予想されているという。電力不足からではなく、カネのために原発の不良債権化を認めず、大飯原発を再稼動させたいだけ。恐ろしい。 参照 : 関西電力による経済性最優先の危険な原発運転の実態 画塾の油絵クラスではいつも社会問題が話題になる。10才のコナン少年も年金について聞いてくる。 最近話題になったのは、宗教や信仰心についてだった。 話せば(書けば)長くなるが、わたしは小さい時から仏壇について疑問を持っていた。これはなんのためにある装置なのか。単に祖霊崇拝だけではない、呪縛と感じた。 歴史的背景を調べるにつれ、それを信じないのにあるいは知らない振りをして、お供えをしたり手を合わせたりすることが自分の信念とどうしても合わない。生前の母にもそれは伝えていたので、母が亡くなったとき、仏壇供養祭に出した。 その話を、この春から大学生になるKさんが「だから先生はお金に縁がなくなるのでは」と細木和子のようなことをいうので驚いた。 「千の風になって」を知らないの? 先祖供養と日本の仏教は違うのよ。 映画「お墓がない」を見ると少しは歴史的背景や、葬儀産業がわかるのでおすすめ。 戒名必要ない56%、葬式簡素派9割…読売調査 2012年4月8日(日)18時31分配信 読売新聞 読売新聞社は2月から3月中旬にかけて冠婚葬祭に関する全国世論調査(郵送方式)を実施した。 冠婚葬祭を簡素に行う方がよいか、盛大に行う方がよいかを個別に聞くと、「簡素に」との答えは「法要」96%、「葬式」92%、「七五三」86%、「結婚式・披露宴」84%で、いずれも90%前後に達した。 これらについて、慣習やしきたりにこだわらなくてよいと思う人の割合は、「結婚式・披露宴」78%、「法要」59%、「葬式」58%、「七五三」54%とすべて半数を超えた。冠婚葬祭をめぐる国民の意識は多様化している。 自分の葬式を仏教式で行う場合、戒名(法名)が「必要ない」と答えた人は56%で、「必要だ」43%を上回った。年代別でみると、「必要ない」は40歳代で最多の63%となるなど、20~60歳代の各年代で多数だったが、70歳以上だけは「必要だ」54%が「必要ない」44%より多い。
わたしが初めて公共の乗り物で席を譲られたのは、まだ40代初めであった。目の前の大学生らしい男性が「どうぞ」と席を立った。「?」何のことかわからないわたしの横から、そこへ座ろうと身を乗り出す高齢女性。すると男性はその高齢女性の前に体を張って阻止し、わたしに席を指す。
そんなに「可弱そうに見える?」と不思議に思いながら席に座って、いま起きている出来事の理由は何かと分析(!)できたとき、その男性にに聞いてみたくなった。 「皮膚のハリとか、色ツヤとかどうなの?」 横から座りに来た女性は、わたしの見るところ、おそらく70才代。化粧はしているが皮膚にハリも色ツヤもない。けれど髪は真っ黒。一方わたしは当時ナチュラル志向の素顔で、白髪混じり。特に側頭部に白髪が多く、まるで耳の白い犬のようだと自分でも思っていた。 男性はきっと髪の色で女性の年齢を決めつけたのだろう。 でも肌のツヤとハリが・・・違うのでは? 「皮膚のハリとか色ツヤはどうなの?」と聞いて、じっと見比べてから「あまり変わりないですね」と言われてしまえば、わたしはダブルパンチに立ち直れなくなるので聞くのはやめた。高齢女性を差し置いて席を譲られることのないよう髪を染めようと、自分で顔が赤くなるのがわかるくらい固い決意をしたのだった。 それからはや30年近く過ぎて・・・わたしが高齢女性になったいま。 わたしは(あるトラウマがあって)自分の髪は自分で切っている。なので染めるのも自分だ。 植物を原料としたヘナを長く使用しているが、染める時間が40~50分と長くて、わたしは我慢できず20分がやっと。そのせいもあって、どんどん色が落ちていく。その上に染めると根元や中の方はうまく染まらず、表面だけ色が重なって赤紫になり、それが嫌で、インディゴ(ヘナ)で15分染めたら今度は染めた直後から薄紫に。 外出もせず、画塾のある日は帽子をかぶり、ふと鏡に映ったりするともう嫌でたまらない。色としては悪くない。似合う人もいるだろう。けど、わたしはその色にしたくてしているのではない。 我慢できず昨日、髪の根元から指2本分の長さでカット。ベリーショートに。 髪の色が自分の思った感じにならないだけで、こんなに落ち着かないなんて。自分のせいではないのに頭髪が不自由になった男性たちの悩みはどれほどか、お察しします。 *追記* 今日はちょっと遠出して疲れたので、停留所が家まで1分と近いバスで帰ることにして、バスが来るまでの時間を東急ハンズでぶらぶらしていた。 ふとヘナを思い出し、インディゴが薄紫に発色することが書いてあったか確かめてみることに。すると・・・ わたしはせっかちで早飲み込みな一面があって、何の説明書でもほとんど読まない。インディゴの説明書きをよく読んでみると、単品で使用するのでなく、オレンジかブラウンのヘナで30~40分染めてからインディゴでまた30分~40分染めるとダークブラウンになるというものだった。この(30~40)×2回には、水で溶かしたヘナを髪に塗っていく時間は含まれていないから、どれだけ時間がかかるのか、う~気が遠くなる。 髪を薄紫色にできるという実験は成功ということで。けどやはり説明書は読まなくては、です。 >
ウラ原子力ムラの野望 低速増殖炉「みろく」安全神話の決定版?(東京新聞・こちら特報部 4月1日)
「原子力ムラはもう一つある」といううわさが発端だった。取材を進めた「こちら特報部」は、極秘裏に進む新型原発開発計画の情報をつかんだ。その名も、低速増殖炉「みろく」。ウラ原子力ムラとでも呼ぶべき勢力が「絶対安全」を合言葉に、のびのび研究していた。今なお原発の安全神話を固く信じる開発責任者が、初めて口を開いた。 ※本日の特報面の記事・コラムはすべてフィクションです 「そろそろ、私たちが表舞台に出るころだと思っていました」 東京臨海部の一角に立つ古ぼけた倉庫群。その一棟から姿を見せた男性を直撃すると、こんな答えが返ってきた。差し出された名刺には「大東京原子力開発協同組合 理事長」とある。賀来元志博士(57)だった。 建物内では、白衣の研究者たちが黙々と働く。中央には、大小さまざまな配管がつながった謎の巨大な機械設備。何かの実験炉のようにも見えるその前で、賀来博士は「もんじゅの破綻は目に見えていた。東京電力もそうだが、みな『安全』のなんたるかを分かっていない」と強調した。 「彼らがなぜ道を誤ったか分かりますか。『安全』を軽んじたからです。私たちが目指すのは、何を差し置いても『安全運転』です。それを実現するのが『みろく』なんです」 賀来博士が「『国民の安全が第一』の設計思想に基づく絶対安全炉」と自負する「みろく」。特長は「暴走しない」ことだ。 「みろくは、ウランではなく、半減期五十六億七千万年の人工放射性元素を燃料に使います。『カワン』と呼ばれるものです」 ちなみに、名前の由来となった弥勒菩薩(みろくぼさつ)は、56億7千万年後の未来に現れ、人々を救うとされる。くしくも、カワンの半減期と一致する。 核分裂反応を促す中性子の速度は、高速増殖炉でだいたい秒速2万キロ、普通の原発で同2キロ程度だが、「みろく」の場合は「ミツバチの飛ぶ速さの5倍程度」。「カワン」の特性もあって核分裂の進行は極めて遅い。このため、万一の事故の際もすぐに熱くなることはないのだという。 「水素爆発を起こしたり、炉心が溶け始めたりするまで五年から十年の余裕がある。だから、政府の発表が遅れても、住民は余裕をもって避難できる。解散総選挙をやってから収束作業に取り掛かっても十分間に合います」(賀来博士) 「みろく」の減速材は海水で、原子炉建屋ごと海底に建設。海上に浮かぶ「免震重要島」の中央制御室から遠隔操作する。冷却機能を喪失した場合は、上部にあるコルク栓のような開閉口から周囲の海水を取り込み燃料を冷やす。 反応がゆっくり進む「みろく」は、そのエネルギー効率の悪さゆえ、現在の商業炉並みに発電するには一基あたりの大きさを東京ドームの五倍くらいにしなければならない。最大の問題は、巨大なプラントから生じる膨大な量の使用済み燃料をどう処分するのか、まったく定まっていないことだ。 その点を追及すると、賀来博士は笑いながらこう言った。 「それは、核燃料サイクルが完成しないうちに実用化した現行の原発も同じでしょう」 賀来博士はかつて「もんじゅ」や、日本初で一世代前の高速増殖炉「常陽」の研究開発にも携わっていた。しかし、「中性子のあるべき速度」をめぐる論争に敗れて原子力ムラを離脱。1982年、自ら呼び掛けて「原子力同好会」を旗揚げし「安全第一」を鉄則とする新型炉研究を進めてきた。その後、首都圏の研究者や企業を説得、85年に組合を立ち上げて研究を続けている。 「みろく」のアイデアの骨格は、すでに40年前からあったという。研究費を集めるため、一般向けの解説本を出したこともあったが「時代が早すぎて認められなかった」。 それが、昨年の福島原発の事故で一変した。“表”の原子力ムラからの乗り換えと思われる、組合への加盟申請が目立ち始めたのだ。 「霞が関が興味を持ち始めたからだ」と政府関係者は解説する。地上ではもはや原発の新増設は難しい状況だが、海底に建設する「みろく」であれば、何かと同意が必要な地元や国際社会の目を盗んで、ひそかに造り続けることが可能、というのだ。 とはいえ、新増設を進めたいはずの原子力ムラの中ですら「本当に『みろく』で大丈夫か」と疑う声は絶えない。結果的に「原発に絶対安全はない」ことを「みろく」が証明してしまう事態になろうものなら、日本の原子力行政は今度こそ行き詰まる。 「ふげん」「もんじゅ」と、菩薩の名を付けた原発はことごとく頓挫した。原子力ムラで高まる危機感をよそに、賀来博士は自信たっぷりだ。 「見切り発車で始めても、そのうち技術が発展して何とかしてくれるはず。先のことを考えないというのは、原子力ムラの常識です」 ◆怒力発電も着々 大東京原子力開発協同組合が研究しているのは低速増殖炉「みろく」だけではない。人間の感情をエネルギーにした「怒力発電」もその一つだ。 福島原発事故では、政府や東京電力、学者らによる、行き当たりばったりの言説に、多くの国民が怒った。組合の研究者はそこに着目。瞬間的に沸き上がる怒りの感情を「怒力エネルギー」と名付け、これで動く小型発電システムの開発に昨年末、成功したという。 ヘッドギアに仕込んだ特殊なセンサーが、脳波と“頭に血が上る”際の血流の変化を信号化し、「怒力エネルギー」に変換して発電機を動かす仕組み。一人あたりの発電量は少ないが、「怒っている人を集めて手をつないでもらえば直列となり、家庭のエアコン程度は動かせる」とスタッフ。 組合では「将来は駅や街角に特設スタンドを設置し、怒りをぶつける矛先を探している人たちの力で電力需要を補う」とする。ただ、開発には経済産業省の助成金が充てられており「国民のストレスを発散させて政治批判をかわすのが真の狙いではないか」との見方もある。 <デスクメモ> いつも自信満々、根拠があやふやだと突っ込まれようが、自説は絶対に曲げない。言葉の言い換えは得意技。想定外の事態は想定したらまずいので想定しない-。本日の記事は、そんな研究者が実在すると仮定した、完全な作り話です。えっ、どこかで聞いたような気がする? そんなはずは…。(核) やっと! 東海地域では愛知3区の近藤昭一議員が発起人だそうです。 菅直人さんも入ってるはずですが、マスコミはなぜか!外している。 「原発ゼロの会」発足 超党派、6月に提言http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120327/stt12032721240009-n1.htm 全原発廃炉を目指す民主、自民両党などの有志議員が27日、超党派の勉強会「原発ゼロの会」を立ち上げた。政府が新しいエネルギー基本計画を策定する前の6月をめどに原発に頼らないエネルギー政策をまとめ、政府に提言する方針。 発起人は民主党の近藤昭一、自民党の河野太郎、みんなの党の山内康一、社民党の阿部知子の各衆院議員と公明党の加藤修一参院議員。阿部氏は「思いを同じくする議員の参加をさらに募る。原発ゼロの声を国会の過半数にするためのエンジンになりたい」と述べ、各党議員に参加を呼び掛ける意向を示した。 勉強会は今後 (1)新たな原発建設を中止し、廃炉を促進する「原発依存ゼロ」 (2)使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルから撤退する「再処理ゼロ」 (3)「再生可能エネルギーへの大胆な転換」 の3本柱を軸に議論を深める考えだ。 (2012.3.27 21:23 産経ニュース) 超党派で「原発ゼロの会」=衆参5人、6月に政策提言超党派の「原発ゼロの会」発足 有志議員、6月に提言2012年03月27日 全原発廃炉を目指す民主、自民両党などの有志議員が27日、超党派の勉強会「原発ゼロの会」を立ち上げた。政府が新しいエネルギー基本計画を策定する前の6月をめどに原発に頼らないエネルギー政策をまとめ、政府に提言したい考えだ。 発起人は民主党の近藤昭一、自民党の河野太郎、みんなの党の山内康一、社民党の阿部知子の各衆院議員と公明党の加藤修一参院議員。阿部氏は「思いを同じくする議員の参加をさらに募る。原発ゼロの声を国会の過半数にするためのエンジンになりたい」と述 べ、各党議員に参加を呼び掛ける意向を示した。(共同)http://kumanichi.com/news/kyodo/main/201203/20120327015.shtml 超党派で「原発ゼロの会」=衆参5人、6月に政策提言 社民党の阿部知子氏や自民党の河野太郎氏ら衆参の国会議員5人は27日、衆院議員会館で記者会見し、超党派で「原発ゼロの会」を発足させたと発表した。全原発の廃炉を目標に掲げて、政府のエネルギー政策に会の提言を反映させたい考え。阿部氏は同会を「(東京電力福島第1原発事故以降の)国民の思いの受け皿」にすると説明した。 再生可能エネルギーへの転換や発送電分離を重点政策とする。今後は週1回、具体的な政策を協議し、6月をめどに提言を取りまとめる。(2012/03/27-17:18時事ドットコム) http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2012032700768 ■相変わらず医者の処方薬を飲むのはやめてしまった。 アレルギーはわたしの場合、その年によって出方が違う。ある年は鼻水くしゃみ、ある年は太陽に当たると水疱ができてかゆみが激しく、今年みたいにぜんそくのようになったり、がぐるぐる回っている。 夜中の咳は止まったが、外出中に発作(?)が起きると止まらなくて困る。本が欲しくて寄った書店でも、咳が止まらず、目的の本も探せないまま出てきた。地下鉄やバスでも、いくらマスクをしているとはいえもう周りの人が迷惑がっている気がする。立場が逆だったら、わたしが一番に迷惑がっているに違いないのだから。 ある講演会では、のどあめをいくつなめてもおさまらなくて、でも最後まで聞きたくて皆の迷惑かえり見ずがんばってしまった。 今年は鼻水が出ない。出ないで鼻の奥からのどに流れ込み、それを排出しようと咳が出るのだろう。 今年の花粉はセシュウムもついてるし。しっかり排出してほしいけど! ■昨日とてもいい気分になれる出来事があった。 始発駅から乗ったバスが、ふたつ目の停留所に止まって乗車用の前ドアをあけたまま動かないので、乗ろうと誰か走ってくるのかと外を見る。その気配はない。運転手が乗車ドアの方に身を乗り出す。乗車口には、高齢男性・おじいさんが乗るのか乗らないのか分からない中途半端さで固まっていた。 運転手思わず「どこへ行かれますか」と声をかけた。 「あそこ!」 おじいさんの大きな声。 「あそこ通る?」 「あそこってどこですか?」 運転手困惑気味。バスの前の方の乗客がクスクスし始める。 言おうとした途端、わかっているはずの名がのどにひっかかって出て来ないってこと、ぼちぼち我が身にも起き始めている。 「あそこ」としか出てこないままではいけないと、おじいさん、必死で考えたんだと思う。 「次の次の次!」 もう乗客の何人か、肩がゆるゆる。 「このバスは次の次で左に曲がってしまいますが」と運転手。 「まっすぐじゃないのか」 「はい曲がります」 「じゃだめだ」 このやりとりが、スリムクラブの「間」を彷彿とさせる絶妙さ。いいバスに乗り合わせた。 ■今日,午後からK.ART StudioのKATO family 3artists ART showに行く。 タイトルの通り、親・子である夫・妻の3人の作品が並ぶ。3人のタイプは全く違うのだけれど、不思議に違和感がない。各自の方法がそれぞれ確立しているのと、親密感があるからか。 Kさんの「グッとくる」という感じが共通している気がする。「絵を描きたい」という気持ちを注入されたかも。 搬入が最後になったGさんの展示もすんだ。布を使って私的ごちゃごちゃを目隠ししていたFさんが、案内はがきを古いこども工作のチターにはさんで飾ってくれた。ろうそくはリクエストがあってもなかなか出来なかったが今年こそワークショップを「やります!」 ![]() 会場の一隅 ![]() 別のコーナーには あやつりが。 いまでは希少なフィルムケースをあるところから大量に入手。メーカーにより長短が微妙に違い、また蓋が内側にピシッとはまるか外側にかぶるかで、どれと合わせるか、全体にどう割り振って組み合わせるか、なかなか大変。こんなかわいいのが出来た! ![]() スケッチブックのコーナーには、これまでのお気に入り工作も展示。 「コラージュ」 ![]() バンブー画塾作品展 3/23(金)・24(土)・25(日) 環境省の災害廃棄物・広域処理政策を批判する動画(4分45秒) ※BGMがなぜこれなのかわからない。気になる方は消音で。 徳島県HPの「ようこそ知事室へ」の目安箱に寄せられた市民の意見への回答が明快。↓ ■ご意見 登録・更新日:2012-03-15 60歳 男性 タイトル:放射線が怖い? いいえ本当に怖いのは無知から来る恐怖 東北がんばれ!!それってただ言葉だけだったのか?東北の瓦礫は今だ5%しか処理されていない。東京、山形県を除く日本全国の道府県そして市民が瓦礫搬入を拒んで いるからだ。ただ放射能が怖いと言う無知から来る身勝手な言い分で、マスコミの垂れ流した風評を真に受けて、自分から勉強もせず大きな声で醜い感情を露わにして反対している人々よ、恥を知れ!! 徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 情け無い君たち東京を見習え。 ■環境整備課からの回答 貴重なご意見ありがとうございます。せっかくの機会でございますので、徳島県としての見解を述べさせていただきます。 このたびの東日本大震災では,想定をはるかに超える大津波により膨大な量の災害廃棄物が発生しており,被災自治体だけでは処理しきれない量と考えられます。 こうしたことから,徳島県や県内のいくつかの市町村は,協力できる部分は協力したいという思いで,国に対し協力する姿勢を表明しておりました。 しかしながら,現行の法体制で想定していなかった放射能を帯びた震災がれきも発生していることから,その処理について,国においては1kgあたり8000ベクレルまでは全国において埋立処分できるといたしました。 (なお,徳島県においては,放射能を帯びた震災がれきは,国の責任で,国において処理すべきであると政策提言しております。) 放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1kgあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度) ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8,000ベクレル(従来の基準の80倍)を、その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。 (したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております。) ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されているということです。 例えばフランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。 また、群馬県伊勢崎市の処分場では1キロ当たり1800ベクレルという国の基準より、大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、大雨により放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えたという報道がございました。 徳島県としては、県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております。 もちろん、放射能に汚染されていない廃棄物など、安全性が確認された廃棄物まで受け入れないということではありません。安全な瓦礫については協力したいという思いはございます。 ただ、瓦礫を処理する施設を県は保有していないため、受け入れについては、施設を有する各市町村及び県民の理解と同意が不可欠です。 われわれとしては国に対し、上記のような事柄に対する丁寧で明確な説明を求めているところであり、県民の理解が進めば、協力できる部分は協力していきたいと考えております。 ■シュウマイのタネに、卵を入れてしまった。「おかしいな、卵なんか入れたっけ?」と思いながら。 で、どうなったかというと、ショウマイの形がアダムスキー型UFOみたいになってしまったが味はよく、ただオーブンレンジの受け皿に白身が吹き出して掃除が大変だった。 ■咳が数日続いて特に夜ひどくて眠れないので、医者に行った。熱もないし花粉症が原因では、とアレルギー源を調べたほうがいいという。花粉症になって30年、いまさら、杉・ハウスダスト・ねこ・ダニなど調べても、杉のないところへ引っ越せるのか、飼い猫を捨てるわけもなく、ハウスダストやダニが原因なら嫌いな掃除をしなくてはならずストレスでアレルギーになるだけだ。そんなこと「調べても意味ないから」と断っているのに、血液検査をされてしまう。6000円。医者は患者の健康より点数か。患者の自己決定権は無視。 そして国も国民の健康より、権益か。 前橋医師会による調査でインフルエンザワクチンに予防効果がないことが証明され、インフルエンザワクチンの学校での集団接種は1994年以降は全国で中止されている。それなのにこの法案。背後には、大手製薬会社の圧力があると考えられる。 全国民に予防接種も、新型インフル特措法案決定 読売新聞 3月10日(土) 政府は9日、強毒性の新型インフルエンザの流行に備えた特別措置法案を閣議決定し、衆院に提出した。 自民、公明両党も同法案の内容に理解を示しており、今国会で成立する見通しだ。政府は公布後、1年以内の施行を目指している。 法案は、強毒性の新型インフルエンザの全国的な流行が「国民生活・経済に重大な影響を及ぼすおそれがある」と明記した。流行時には首相を本部長とする政府対策本部が、緊急事態を宣言するとし、深刻な流行が予想される場合には、同本部が予防接種の「対象者と期間」を定める規定も盛り込んだ。政府は最悪の場合、原則として全国民を対象とした予防接種実施を想定している。 都道府県知事の権限も強化する。具体的には、住民への外出自粛や学校の休校、集会の制限を要請できることや、医薬品や医療機器を取り扱う企業などが物資の売り渡しを拒否した場合、強制収用を可能にした。 ■ 2月に急に画塾作品展をやろうという話になり、3月下旬に決まった。 昨日は、この春から京都へ金蒔絵の修業に行くFさんが手伝ってくれて、ペンキ塗り。 4号機燃料取り出し建屋カバー建設 「前例なき」燃料棒の取り出しへ 4号機の使用済み燃料プールから使用済み燃料棒1535本を取り出す作業に取り掛かるのが、2013年の12月の予定という。それは福島だけのことでなく、日本中が地元ととして息を飲んで見つめる現状だ。 [大学]学費、公的補助、進学率…OECD調査 経済協力開発機構(OECD)は、加盟国の高等教育(大学以上)に関する調査結果を発表した。同調査では、平均学費と、補助金や公的ローンを利用する学生の割合を比較している。学費面だけではなく、国のサポート体制、大学進学率などを合わせた分析が特徴だ。 国別に計算された学費平均は、米国が6,000ドル(約50万円)以上と最高で、これに日本、オーストラリア、ニュージーランド、オランダが続いた。これら上位5か国の中、日本以外では75%以上の学生が公的ローンや補助金などのサポートを受けているという。 累進課税制度をとるデンマーク、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、スウェーデンなどでは、学費が無料の場合が多いだけでなく、生活面においての公的補助金も多いという。そのほか、メキシコ、スイス、ベルギー、イタリア、オーストリアなどでは、補助金などの利用率は低く、日本と変わらないが、学費が比較的安い。 学費と補助金の関係性は、高等教育への入学率にも影響している。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、オランダ、米国など、比較的学費が高い国でも、補助金や奨学金が数多く存在するため、入学率はOECD平均やG20(主要20か国・地域)の平均を上回る。同じく補助金の多いアイスランド、ノルウェー、スウェーデンなどでもG20平均以上だった。 その一方、メキシコ、スイス、ベルギー、イタリア、オーストリアなど、学費は比較的安いが補助金制度が少ない国では、G20か国の平均を下回ることもあるようだ。日本では、学費の平均も高額なうえ、学生が利用できる補助制度が少ないため、入学率はOECD平均、G20平均を下回った。 高等教育に使われる公的資金の中で、学費援助に使用される割合は、日本で約26%。50%を超えるチリや英国に比べると低いが、米国、フランス、韓国などは日本よりさらに低いことがわかった。しかし、OECDが注目するのは学費援助の形態だ。日本では、使用されている公的基金のほとんどがローンという形で学生に提供されており、返済不要な補助金や奨学金として使われる金額はOECD諸国の中でも低いのが現状。 OECDによると、適切な学費と、支援サポートのバランスが必要だという。米国のように、学費が高くても、補助金や奨学金制度が充実していれば高等教育機関への進学率を高く保てるという。その一方で、学費が低くても、サービスが比較的充実していないメキシコなどでは、進学率も平均未満だった。 学費が高いうえに補助金や奨学金サービスの少なさが調査結果として現れた日本の高等教育。学費とサポートのバランスをどのように築き上げていくのかが注目される。 (湯浅 大資) 友人から好きな書籍について聞かれた時、あなたは何を紹介しますか? ここ1−2年その質問をもらった時に、僕は中学生の教科書を紹介しています。それは日本の教科書ではありません。スウェーデンの社会の教科書の日本語訳版「あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書」です。 日本の学校での勉強と社会に出てからの勉強 なぜ、他国の社会の教科書を薦めるのか?それは非常に衝撃を受けたからです。 長い間学校で授業を受けて教科書で学んで来ましたが、これまで教科書そのものの善し悪しについて考えたことはありませんでした。社会に出るまで勉強=教科書が中心だったため、勉強のできる人とはテストの点数の高い人、つまり教科書を中心にしっかりと勉強している人ということだったと思います。それが社会に出るとテストの点数なんて関係のない、リアリティのある社会と突然向き合うことになります。就職するのも、働くのも稼ぐのも自己責任、その後活躍できるかどうかも、教科書の勉強が役立つことは限りなく少ない。気がつけば投票権もあり、国や地域を担う政治家に投票できる権利も持っています。そんなリアリティのある社会に出て初めて、学校の勉強って何だったのか疑問を持つことはありました。 自分自身、社会に出てから多少なりとも勉強しているつもりです。本を読むこともそうですが、仕事を通してや、輝いている人たちと会って話をしたり、時々は勉強会やセミナーなどで間接的に体験を学んでいます。最近ではソーシャルメディアやブログを通して、勉強したり、人と繋がって会ったり。また自分自身情報を発信し、行動することで逆に情報が集まり、知識だけでなく行動や発信を通して学んだりもしています。 学校に行っていた時の教科書の勉強と、社会に出てからの勉強。どちらが役に立ち、成長や成果につながっているかは説明するまでもありません。リアルな社会を知り、多様な人と話し、自分自身の考えを発信して行動をすることの方が社会とつながっている感覚も強いです。 一方、ベンチャー企業で12年働いていると、もっとしっかりと勉強に集中する期間が欲しいと思うこともあります。ベンチャーでなくともがっつりと仕事をしていると、このまま偏ったキャリア・知識・仕事に没頭するのではなく、新たな専門性を身に付けたい、新たな分野で関係を作っていきたいと思います。そうしてMBAを取りに行ったり、社会人でも専門学校や大学に行く人も多いのだと思います。では、学生時代の勉強と、社会人になってから学校で学ぶことは何が違うのか?それは明確に社会やビジネスを意識して勉強し、自分の頭で考えた意見を出して、同じような意識を持って集まる人たちとともに意見をぶつけあうことではないでしょうか。 今思うと果たしてそれは一度社会に出ないと気付かなかったことなのだろうかと疑問に思います。 スウェーデンの社会の教科書 では大人の自分がなぜスウェーデンの社会の教科書を読み、それを友人に薦めるほどの衝撃を受けたのか?薦められた友人も今年ベストの本だったとか、教育について考え直させられたとか、みんなそれなりのショックだったようです。 本書の前書きを少し紹介します。 『あなた自身の社会』には、いくつもの特色を指摘することができますが、私は特に次の点に注目しています。第1、「実社会への手引き」となっている。子どもたちが、日常の社会生活を賢く、安全に送るために、いま知っているべき事柄、近い将来において必要となってくる事柄がきちんと説明されています。題材の選択と記述には、子どもの視点が貫かれています。 この、「実社会への手引き」という視点が、まず日本の教科書の何だかリアリティのない内容と比較して、スタートとなる視点が違います。例えば扱うテーマも、いじめ、恋愛、セックス、結婚と離婚という人間関係についてや、暴力と犯罪、アルコールと麻薬、男女間の不平等、社会的弱者や経済的・社会的に恵まれない家庭の存在など、社会の負の面も隠すことなく紹介されています。 社会的存在としての人間に、さまざまな確度から光を当てている。人は周囲の他人とのかかわりをもたずには生きていけない。その他人からは考え方や行動の上で不断に影響を受けている、と同時にこちらからも影響を与えている、などです。人は各人各様の意見をもつ一方、共通した悩みや問題を抱えていることを指摘しています。 例えばいじめの問題を取り扱うにしても、グループ(集団)の存在について紹介をしたり、自分は何者であるか?や、期待が人を動かすこと、男と女で興味分野が違うこと、自国の結婚観とインドの結婚観が違うことなど身の回りの問題から、自分のこと、多様な価値観について紹介されています。日本のように単一民族中心で育つと価値観の違いや他人と違うことを受け入れ難くなってしまいます。 さらに自分は人と考えが違っていておかしいのかもしれないと思うこと自体、他の人もみんなあるとなんだということや、自分に自信を持つ大切さ、受け身ではなく、主体者であることを薦めています。 積極的な姿勢が貫かれている。恵まれない家庭環境に育った者も、犯罪を犯した者も、そうした状況を克服して建設的な生き方ができることを、繰り返し主張しています。社会には、そのためのさまざまな支援が用意されていることも教えています。 犯罪について学ぶ時にも犯罪の行為だけでなく、被害者の気持ちを考えること、自分自身が犯罪の加害者になっていることに気付いていないことがあること、さらには犯罪を犯した後の更生施設でどんなことをするのかまで紹介しています。障碍者についても、日本のように隠さずたくさんの障がい者がいること、そもそも障がい者とは、例えば機能として言葉が話せない人がいたとして、海外で言語が通用しなければそれも一種の言語障がいだし、お酒を飲まないと話せない人も社会的障がい者であると指摘します。そうして自分ごととして捉えた上で、様々な社会保障があることを紹介しています。 子どもたちが自分自身の意見をもつことを徹底して奨励している。「課題」として用意されている170余の質問がそれです。「君自身はどう思うか、友達の意見と比較しよう、みんなで討論しよう」が基本的な問い方です。その一方、これが模範回答だというものは、ほとんどの場合与えられていません。 そしてこれが最も衝撃だったのは、教科書では答えを基本的に出していません。先生も答えを示しません。先生はファシリテーターとして、随所に用意されているインタビューやケースを紹介し、その上で生徒に「課題」を出します。 例えば離婚について。40万人の子どもが両親と一緒に住んでいないことを紹介し、3人の離婚を体験した子どものインタビューがあります。読んでいて非常に心が痛むような子どもの声です。新しい親や新しい兄弟のことまで書いてあります。前半の章では、インドの結婚について、インドでは親が結婚相手を決めることが普通であること、15歳で結婚することを学んでいます。その上で恋愛についての課題は、「インド人は私たちの結婚観についてどういう意見を持つと思うか?また、私たち自身の恋愛観について、あなたはどう思うか?」と問うのです。 離婚については、「離婚は、場合によっては望ましいことでしょうか?親たちは、子どもを可能な限り煩わせないように、離婚をどのように進めているでしょう。討論しましょう。」と親の立場で考えさせています。さらには、「麻薬常習の女性が子どもを産んだとします。子どもを母親から取り上げることについて、どんな意見があり得るでしょう。友達の意見と比較しましょう。」という課題まであります。同性愛者についても紹介し、同性愛者が結婚することや子どもを養子に迎えたいと思うことについて意見を問う課題もあったり、現実社会で人ごととして感情に訴えるようなワイドショーやテレビを見て育つ僕たちと、こうしたリアルな現実と多様な意見、それに対して自分の頭で考えた意見と、友達の意見とで討論するスウェーデンの中学校。大人である自分でも本当に考えさせられる教科書です。 社会は自分たちの手で変革できることを教えている。社会を動かしているあらゆる制度や規則は、異なった見解をもつ人々の妥協の結果として存在している。もし、より多くの支持者を獲得できるなら、それらを変えることが可能になる。この可能性を強調することを通して、子どもたちに、社会は彼ら自らが作りかえていくものであるとのメッセージを伝えています。 スウェーデンには「コミューン」と呼ばれる日本でいうと自治体のような地域共同体があります。その「コミューン」が生活にかなり密接に関係しているそうで、教科書でも1章丸ごと割いて紹介されています。「コミューン」の重要性を紹介するだけでなく、事例を通して行動を起こしてみることの大切や、その結果若くても変化を起こすことができること、その結果良いこともあれば上手くいかないことがあることも、インタビューを通して紹介されています。 日本の学校教育について 2011年、戦後8度目の改訂の学習指導要領が改定されました。2002年の改定、いわゆる「ゆとり教育」依頼の改定で、文科省のホームページには以下のように「生きる力」と紹介されています。 新しい学習指導要領は、子どもたちの現状をふまえ、「生きる力」を育むという理念のもと、知識や技能の習得とともに思考力・判断力・表現力などの育成を重視しています。これからの教育は、「ゆとり」でも、「詰め込み」でもありません。次代を担う子どもたちが、これからの社会において必要となる「生きる力」を身に付けてほしい。そのような思いで、新しい学習指導要領を定めました。「生きる力」を育むためには、学校だけではなく、ご家庭や地域など社会全体で子どもたちの教育に取り組むことが大切です。子どもたちの未来のために。 これから日本の学校教育がどうなるのかはわかりません。こういった改定や、日本でも「熟議」と呼ばれる問題に関わる様々な立場の当事者がその問題について学習し「熟慮」と「討議」を重ねていくという動きが学校教員や学生や社会人たちで始まっています。 またゆとり教育が目指していたのは何だったのか?今の20代がお金稼ぎや出世よりも、ボランティアや社会起業家に憧れる背景に学校教育はどんな役割を果たしていたのか?マイナスの側面だけでなく、新卒採用の面接などを通して話していると彼らの学生時代の体験が活かされている人も目にします。 自分の子どもがこれから学校へ入学することを考えると、自分の軸をしっかり持って、多様な価値観を理解し、オープンでフラットな考えや行動をできるように、優しく強い子に育って欲しいと思います。成熟した日本社会においては、大きな社会も身近な社会も自分ごととして捉え、ソーシャルネットワークのようなインタラクティブなインターネットも活用して世界とつながり、自分や周りの可能性を広げることが大切だと思います。その上で、スウェーデンの社会の教科書のような内容、学校の先生のファシリテーション、友達、そしてコミューンのような地域コミュニティの仕組みはヒントになることも多いのではないでしょうか。 佐別当隆志[あなた自身の社会〜当事者として向き合っているか?]/ ITmedia オルタナティブ・ブログより ほとんどの人がgoogleの無料webサービスをインストールしたときに、グーグルの決めたプライバシー・ポリシーに「同意」しているはず。そのプライバシー・ポリシーが3月1日から、統合されて一本化される。 個人の性別、年齢、住まい、電話番号(アカウント取得時に入力するので当然です)といった属性のほかに、思想、行動、趣味、交友関係、好きな食べ物などの数値化できない定性データ=プライバシーがgoogle側にすべて把握されるようになる。 中国がgoogleを締め出したのはこのことが理由だとしたら・・・? 内田樹 さんの twitterより 今、アメリカの国力が衰微してきました。日本人が自分で自国の安全保障について考えなければならない時期が近づいています。でも、その負荷に耐えるだけの知的体力が日本人にはありません。「その知的体力がない」という痛苦な事実を直視できるだけの知的体力もありません。 日本は敗戦国であり、アメリカの軍事的属国であり、安全保障について自己決定権を持っていない「主権のない国」です。それを認めるところからしか話は始まらない。でも、政治家も官僚もメディアも、それを隠蔽しようとして反基地闘争と基地誘致を同時に行うという人格解離を発症している。 沖縄に基地があることを当事者たちの中でもっとも切望しているのは日本政府です。だから、「沖縄に基地を必要とするアメリカ側の損得勘定」について議論することを許さない。「アメリカが『要る』っているんだから、きっと要るんでしょ」で思考停止し、その先には決して踏み込まない。 だから日本の国益を守るもっとも現実的な方法はアメリカにすがりついて「お願いだから日本から出て行かないでください。日本政府に安全保障について『こうしなさい』という指示を出し続けて下さい」と懇請することです。そして、現にそうしている。 今の日本の政治家には、中国、ロシア、韓国、台湾、北朝鮮、アメリカと自力でネゴシエイトし、国益を最大化するゲームでいい勝率を収めるためには、「どういう中期的な外交戦略が適切か」を知るべく、各国のカウンターパートと連携を取って、政策構想をしている人はたぶんひとりもいません。 問題はそのようにして「国家主権の放棄」に長くなじんでしまうと、もしアメリカが宗主国であることの負荷に耐えきれず日本の安全保障を「代って考える」仕事を止めると言い出したときに「丸裸」にされて国際社会に放り出されるというリスクを負うことです。 僕たちが忘れがちなことは、安全保障のような重大な事案については、「誰かが自分に代って考えてくれる」というのは、たいへん大きな利益をもたらすということです。軍事的な脅威についての情報収集も対応策の起案も代ってくれるし、政策的な失敗があっても責任を取ってくれるんですから。 日本は安全保障についてのすべてをアメリカに「日本に代って考えてもらうこと」で国の安全保障について自力で考え、関連諸国と自力で関係を取り結ぶという負荷のつよい仕事を免ぜられました。安全保障について「日米基軸」しか言わないというのは「安全保障については何も考えない」と同義です。 どういうメリットがあるのかがわかれば、それを「別の仕方で補う」オルタナティブを考えることができます。でも、考えたことがなかった。「アメリカが軍事について何を考えているのか」は問うてはならぬこと、問えぬこと、そして「問わない方が日本にとって利益のある問い」だったからです。 インタビューにゆくと「米軍基地の撤去はアメリカの国益にかなう政策転換である可能性がある」という命題の検証を余儀なくされます。でも、日本の政治家も官僚も学者もメディアも、「アメリカにとって日本に米軍基地があることのメリットは何か?」ということはたぶん一度も考え方ことがありません。 アメリカの共和党大統領選候補ロン・ポールは「在日米軍基地の全面撤収」を公約に掲げています。なぜそれが公約に掲げられているのか?その公約は米国内で一定の支持を集めているのか?それは戦略的に可能なのか?などについて日本の新聞記者はどうしてインタビューに行かないのでしょう? 報道しないのは、報道すると「では、アメリカはなぜ日本に駐留しているのか」という問いについて考えなければいけなくなりますが、それについては「考えない」というのが日米基軸論者たちの思考停止の病態だからです。 アメリカはすでにフィリピンのクラーク、スーヴィック基地を返還し、韓国内の基地を三分の一に縮小しました。日本のメディアはこの事実をほとんど報道しませんでしたし、米軍の中期的な戦略転換についての踏み込んだ分析していませんでした。 「現代美術展inとよはし」ツアーに参加。 駅前周辺 → (愛知大学が休みなので代わりに)ギャラリーサンセリテ・味岡新太郎展 → 昼食は豊橋名物カレーうどん → 豊橋市公会堂 → 豊橋市美術博物館 → 名豊ビル → 豊橋丸栄 → に展示されている作品を見て回る。 オープニングのバスツアーに参加したので、今回は2度目。わたしの個人的な目当ては「豊橋名物カレーうどん」である。 ![]() カレーの上にうずら卵とプチトマトが乗っていて「?」と思ったら、顔なのだそうで、隣の人のはもっと目の間が離れていてかわいかった。 カレーうどんを食べていくと、カレーのとろ味が粘りとふんわりの混ざった感じになって、うどんからとろろ芋がかかったご飯に変わるのだ。なかなかおいしかった。 回り終えて、駅の近くにあるグロッタでお茶。 参加されたひとりKさんがフランス各地の美術大学で7、8年学ばれてきた内容を聞く。 国立大学は授業料は年4万円くらい(驚き!)。設備は日本の方がよい(それはそうだろう!) そして講義内容は、油絵もごくわずかの希望者だけ、もうデッサンとか彫刻とかはなく、インスタレーションや映像がメインだという。 フランスの長い伝統の上に立って新しいアートを見渡している。ただ新しいだけではなくブリコラージュ的な取り組みであるように感じた。日本は国の文化施策がなく、その違いが興味深い。 ご飯をとろろの膜でおおい、その上にうどんをのせて、掛けたカレーあんに顔を描く・・・って日本の美術状況みたいでは?
映画「END:CIV」は、わたしたちの文明が常習的に繰り返す組織的な暴力と環境破壊によって地球が殺されるのを食い止めるにはどうすれば良いかについてのドキュメンタリーである。
デリック・ジェンセンは、「地球上の生命を救うためには文明が終わらなければならない」という。 資源の過剰な消費、経済の混乱、石油の枯渇、気候変動、環境の悪化、そして最近の日本の核の惨事もその終わりにしたい狂気の文明のひとつである。 END:CIV JP 日本語字幕版(1時間15分) 1月末の粗大ゴミの日、朝8時までにベッドフレームやマットレス、大きな座卓、座布団などを出す。 じきに収集車が来た。その場で破砕して積載していくので、大きくて複雑な破壊音がする。思わずベランダに出て下を覗く。座卓がひしゃげてばらばらになるところだった。 何十年も母の生活様式ではあの座卓を囲んで、座布団に座って食事していた。それから10年余、使うこともないのに空いているスペースに置いていたが、その空きスペースも別用途に使うことになって、とうとう、家からはみ出した。お別れだ。 古くなった使わないものを「捨てる」か「取っておく」かの基準は、「思い出」が大きく関わっている。しかしそのものがなくなったからといって、思い出がなくなってしまうわけでもない。 家族の形態が変われば、新陳代謝が起こって当然だ。 捨てられない理由には「思い出」のほかにも、そのものが魅力的かどうかというのもある。 やはり母の愛用していた、足踏みミシン。わたしは電気ミシンを使っているが、ものとしての美しさは足踏みミシンの足元にも及ばない。それで置き場所を点々と変えながらも、その存在が許容されてきた。 が、ついに部屋からはみだしてしまい、緊急避難で、画塾の教室に移動。 せっかくなので「見て描く」モデルにしたところ、 「これ要らなくなったら僕にください。こういうのをコレクションしたい」というこどもや、「木製のボックス型ミシンを骨董屋さんにみてもらったら、足踏み式の金属部分が見えるものなら引き取ると言っていた」という情報や、店内すべてのテーブルにこのタイプのミシンを使っているカフェを紹介されるなど、みなさんに関心を寄せられた。 「実家にあったのを手放すというときは何とも思わなかったけど、あとになって後悔した。要らなくなったたらぜひ譲ってください」とは、先のこどものお母さん。さすが同じDNA。 「こんなにみながいろいろ言ってたよ」と話すと、「捨てる」派もさすがに「取りあえず捨てない」に修正。 部屋からはみだし、教室に留まる土俵際の足踏みミシン。 ![]() IAEAは「世界の平和と健康、繁栄のため、原子力による貢献を広げ加速することに努める」(IAEA憲章第2条)がしめすように、原子力を推進する国々によって設立された組織であり、原子力を規制しているわけではない。放射性ガレキの処分問題はIAEAでなく、市民が規制しなくてはいけない。 「アーニー・ガンダーセンです。今後の見通しについて。三つの話題、1)福島原発の状況 2)住民の被曝 3)放射性ガレキ について話します。」 (約20分 2012/01/01 アップロード) 「やじろべえ」のいろんなタイプの作り方がのっているページを見つけた。どうしてこれまでこのページに気がつかなったのだろうと不思議に思いながら、とりあえず今日はここまで、明日ゆっくり見ることに。 そして次の日、そのページがありそうな本を何冊もめくってみるが、見当たらない。そんなバカな。くっきりとイラストもレイアウトも憶えているのに、どうして見つからないのか。 もしかして・・・夢だった? 毎月半ば過ぎ、次の月のこども工作の予定を何にするか考える。ひらめいたら材料を工夫して試作。これが決まらないときはほんとになかなか決まらないで悩む。今月もそんなだった。「やじろべえ」はそんな最中のこと。夢だとしてもあり得るかも。 リアルすぎて現実につながってしまう夢。そのページののっている本はやはり見つからないが、どこかにある気がしてならない。 ![]() 試作中の針金を「お手伝い」しているミミ 横長のケント紙に絵を描き、筒状のビニールの中にクルクル巻いたケント紙を入れ、ビニールにも絵を描いて、両手で繰り出すと、ケント紙の絵とビニール筒の絵が行き交う絵巻物。 ひとつ目は「宇宙から地球を見る旅」を作ったMさん。 ふたつ目を意欲的に作りだした。 ![]() 机、バースデイケーキ、プレゼント、花鉢、花束、手紙 ![]() ちょっと写真がボケてますが、ケーキのろうそくを吹き消す右上の顔はビニール筒に描いてある。 「もうじきお母さんの誕生日だから」とMさん。 お迎えにいらしたお母さん、「感激!」
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