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和歌山毒入りカレー事件の死刑判決について

「和歌山毒入りカレー事件」が、もし裁判員制度で裁かれたとして、その裁判員のひとりでも、ある本を読んでいたら・・・

その本に書かれていたのは--------
「カレーで集団食中毒? スパイスは漢方薬のアラカルト。殺菌、滅菌、防腐、抗酸化作用を持つものが多いはずなのに」と新聞記事に疑問を抱いて、インターネットを使って調べ始めた。
もしカレーが黄色ブドウ球菌に汚染されたとしても、新聞の報道する時間帯を調べると再加熱しているので、菌の増殖は止まり死滅していったはずで食中毒の可能性はない。
「すぐもどす」「わずか数分」という発症の速さも食中毒ではない、など報道された内容をひとつひとつきめ細かく検証していく。
一人目の犠牲者が出て司法解剖で「青酸」が検出され、「青酸カリ」の無差別殺人事件として報道が熱を帯びる。現場に残っていた大量のカレーを、保健所はなにも検査せず「食中毒」処理できれいに洗ってしまったが、10円玉ひとつをカレーに浸けていれば、その場で青酸が混入していないことが判定できたのだ。

青酸中毒は急激で激しい呼吸困難になるのに、被害者たちが消化器系に強烈な打撃を受けていることが納得できず、専門書「急性中毒情報ファイル」「救急医学」の2冊を調べるとすぐ砒素が疑われた。保健所や病院に備えなければならないこの専門書すらなく、インターネットで調べることもせず、緊急事態医療体制の不備が露呈する。

事件発生9時間後に初めの犠牲者、14時間後に二人、16時間後に一人と命を落としているが、「急性中毒情報ファイル」には「急性シアン化合物(青酸)中毒では、4時間生存すれば通常回復の見込みがある」という。9時間以上たってからの死の原因は青酸ではない。

あらゆる毒物の中で最も強烈に消化器を打撃するのは砒素化合物しかなく、「激しい中毒では1時間以内に死亡することもあるが通常の致死時間は約24時間」とある。
毒物の場合、胃洗浄、下剤、チオ硫酸ナトリウムがはじめから処置されていれば、4人とも救われた可能性はきわめて高い。
実際に患者である子どもの父親が、「食中毒ではない」と強硬に医師に迫って「急性毒物中毒」の処置である胃洗浄をした和歌山県立医大付属病院では1人も死者が出ていないのだ。催吐や下痢に鎮吐剤や点滴が処方されたのは医療による「さらなる加害」ではないか。
一時期は退院が予定されたほど回復していた鳥居幸さん(16才)が、急激に症状を悪化させ死に至ったのは「青酸」を解毒させるつもりで処方した亜硝酸ナトリウムが、砒素中毒の場合、酸欠を起こし心臓に過大な負担を与えたとしか、考えられない。

患者が搬送された病院から瞳孔が閉じていると報告を受けても、青酸中毒では逆に「瞳孔が散大」することに気づかない保健所。「毒物は警察」と責任回避。
警察や保健所は患者の症状について連絡を受けながら判断・指示ミスを繰り返し、マスコミも警察や保健所が発表する情報を鵜のみ報道するばかりで、自ら調査検証しないまま、事件後9日目に偶然、砒素の混入がわかったあとは、林真須美さんの過熱報道がエスカレートしてゆく。
臨床の現場の医師や薬剤師たちも、インターネットにアクセスするなど独自の調査を怠った。
砒素入りカレーを食べ、4人が中毒死したのは、犯人の罪状はもちろん、社会的医療体制の種々の不備や欠陥、人命に係わる各分野の専門家たちの複合過失によって拡大された社会的医療事故「業務上過失致死傷」ではないのか。
-------というもの。

裁判に臨み、これを読んでいた裁判員が意見を言ったとして、裁判官が「なるほど」と耳を傾けるだろうか。
今回の判決は、書面上死刑にする以外ない内容が整っているから死刑判決が出たので、死刑に反対する裁判官は一人もいなかったそうだ。

4人は死なずにすんだのに「なぜ死なねばならなかったのか」に焦点を当てたら、林眞須美さんに死刑判決が出せただろうか。判断のミスや不手際を犯したすべての人の罪をひとりに被せられた気がしてならない。
警察などの判断ミスのメンツ回復のため執念を持って状況証拠が固められ、自白もなく物的証拠がないまま、書面に不備がなければ死刑にされてしまう。そのことに立ち会わせられる裁判員制度の意味は・・・国家権力に対する市民の、無力感を植えつけられるだけではないか。

国が市民に押し付ける「死」は「死刑」と「戦死」である。



高見秀一弁護士の話

 私は一審から林眞須美さんの弁護人でしたので、まずは事件と裁判の流れを簡単に説明させて頂きますが、(以下、スクリーンに事件現場の地図を写しながら)この事件が起きたのは、平成10年の7月25日のことです。それからもう10年半経ちましたけど、この「ガレージ」と書いてある所で、事件当日に自治会の人たちが夏祭りで出すために、カレーとおでんを炊いていた。カレーの鍋は2つあり、そのうち「東側に置かれていた鍋」にヒ素が入っていたのです。
 そして、裁判では犯人だとされている林眞須美さんは、事件当日の午後0時20分ごろから午後1時ごろまでの間に、このガレージでカレーの見張りをしていました。その間に眞須美さんが、カレーにヒ素を入れたことになっているわけです。

 ただ、この事件では、眞須美さんがカレー鍋にヒ素を入れたところを見た人は誰もいません。しかし、カレー鍋が置かれていたガレージの向かいにあるお宅の、Hさんというお嬢さんが「ガレージに眞須美さんがいて、西側のカレー鍋のフタをあけ、鍋の中をのぞき込んでいるところを見た」と証言されている。西側の鍋というのは、要するに「ヒ素が入っていなかったほうの鍋」なのですが、この証言が裁判では、眞須美さんがカレー事件の犯人であるとする重要な間接事実の1つとされているのです。
 このHさんの目撃証言には色々問題があるのですが、そのうち2つの問題点について、今日はお話させてもらいます。

・眞須美さんのTシャツの色を間違った目撃証言

 この証言の1つ目の問題点は、一審でHさんが眞須美さんの当日の服装について、「白いTシャツだった」と証言されていることです。というのも、事件当日に眞須美さんが着ていたのは「黒いTシャツ」だったので、ここがまず事実と違うわけです。
 もっとも、裁判では、Hさんの言う通りに事件当日の眞須美さんの服装は、「白いTシャツ」だったと認定されています。そこで、眞須美さんの服装が白と黒、本当はどっちだったのか、事件当日にカレーの調理や見張り番をされた他の地域住民の方々の証言を元に検証してみます。

 まず、事件発生まもない98年9月、10月のころの地域住民の方々の証言をみていくと、Mさんという方が9月17日付けと10月1日付けの警察官調書でいずれも「林の奥さんは黒っぽい服を着ていたと思います」と証言されています。このMさんという方は、事件当日の午後1時ごろにカレーの見張り番を眞須美さんと交代した人ですが、その時に眞須美さんを見た記憶に基づいて証言されているわけです。
 それから、Tさんという方も、午前中にカレーやおでんの調理をしていた時に眞須美さんを見ているのですが、9月23日付けの警察官調書で「林さんが黒のTシャツ姿で、右手で子供を抱えるようにしてガレージに来たのです」と供述しておられます。また、0時20分ごろに眞須美さんとカレーの見張り番を交代したOさんという方も、10月1日付けの警察官調書で「林さんの服装は黒か紺のダボダボしたTシャツでした」と証言しておられたんです。

 また、この人たちの一審の法廷での証言をみても、TさんとMさんは眞須美さんの事件当日の服装を「黒」だと証言されています。一人だけ、Oさんが一審の法廷では眞須美さんの服装について「白っぽいTシャツでした」と証言し、捜査段階の「黒か紺」から証言が変わってしまったのですが、実はこのOさんは、証言を変遷させた理由として、法廷でこんなことを言っているのです。
「オリジナルの記憶は白だったんだけども、警察の方に調書をとられている時に、『他の人はみんな、林さんが黒のTシャツを着ていたと言っている。あなたの記憶違いじゃないか』と言われたんです。それで、みんなが黒だと言っているなら、林さんの服装が白だという私の記憶は間違いかもしれないと思って、取り調べでは黒だと言っていたんです」
つまり、眞須美さんの服装を法廷では「白」だと言ったOさんの証言によって、逆に、事件発生まもないころには地域住民のほとんどの方が眞須美さんの服装を「黒」だと証言していたことがハッキリするわけです。

・目撃者が見たのは眞須美さんではなく次女
 そして、Hさんの目撃証言に関するもう1つの問題点ですが、それは、眞須美さんがカレーの鍋のフタをあけた時、首にタオルを巻いていたと証言されていることです。というのも、他の地域住民の方々は誰一人、眞須美さんが事件当日にタオルを首に巻いていたとは証言していないんです。

 では、Hさんが見た「鍋をあけた人」、つまり「首にタオルを巻いていて、白いTシャツ姿だった人」は誰だったかというと、眞須美さんの次女だったのです。
 というのも、次女の方は、事件発生当時にフライデーが、眞須美さんと間違って写真を誌面に掲載したほど、眞須美さんと背格好がとてもよく似ていたんですね。それで、Hさんも次女の方を眞須美さんだと間違って証言したんだと思うのです。
 実際、次女の方は、「事件当日にはガレージでお母さんとずっと一緒にいた。その時に自分は白いTシャツを着ていて、首にタオルを巻いていた」と証言しています。それに、次女の方は、「お母さんと一緒にガレージにいる時にカレーの鍋のふたをあけ、味見をしました」ということを裁判が始まる前の手続から一貫して証言しているんですね。

 それと、Hさんは「カレーの鍋のフタをあけた時、眞須美さんは首にタオルを巻いていた」と証言している一方で、「午後0時20分ごろに眞須美さんを最初に見た時には、首にタオルをかけていなかった」とも証言しています。
 そのことから、一審判決は「最初は首にタオルを巻いていなかった被告人が、鍋のフタをあけた時に首にタオルを巻いていたのは、カレー鍋の見張り番をしていた時間帯に一度、家に帰ったからだ。その際、家にあったヒ素を持ってきたのだろう」と言外に匂わせている。

 しかし、Hさんの証言を検証すると、実は事件発生まもないころの検察官調書では、「眞須美さんは、最初に見た時(つまり午後0時20分よりも前の時点)から、白っぽいTシャツに黒っぽいズボンをはいていて、首にタオルを巻いていました」と証言しています。ですから、Hさんが最初に見た時に首にタオルを巻いていなかった眞須美さんが、次にHさんが見た時は首にタオルを巻いていたとされ、そのことから眞須美さんがカレーの見張り中に一度家に帰ったとしている点も、一審判決は間違っているわけです。

by o-k63 | 2009-04-30 23:15 | 日常 となりあわせ
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